ライターの狩野です。最近、『I Loveスヌーピー』、『パディントン』、そして『リトルプリンス 星の王子さまと私』など、元々は絵本や漫画のキャラクターの映画が続いているので、今回は映画ネタを一つ。子どもを生む前は、英字新聞の文化欄記者でしたが、映画好きが高じて映画関連の記事をたくさん書かせてもらいました。今でも謀バイリンガル新聞で映画欄のコラムを書いていますが、母親になったせいか、編集部からふられる映画も子どもやファミリー向けが随分増えましたね。とがったミニシアター系の映画ばかり観ていた独身の私からしたら、考えられないことです!?
さて、今回取り上げたいのは現在公開中の『リトルプリンス 星の王子さまと私』です。オススメです!始めは大好きなサン=テグジュペリの名作が映画化されると聞いても、全く食指が動きませんでした。心を打つ文章と繊細な絵で綴られたあの美し過ぎる世界観を、スクリーン上におこすことは不可能だと感じられたからです。案の定、CG感満載のプレスシートを目にした時はがっかりしました。そういうわけで期待せず試写にのぞんだのですが、これが意外や意外、なかなか心を揺さぶられる映画だったのです!
まず、タイトルにもあるように、これは星の王子さまと「私」の話。この「私」は、どこにでもいそうな等身大の9歳の女の子。この子が主人公です。舞台はきっとハリウッド製作のアニメだからアメリカなのだろうけど、この女の子、日本の都会に住む同年代の女の子と少し共通点があることに気付かされます。父親は不在で(きっと離婚している)、お母さんはバリバリのキャリアウーマン。娘を進学校に入れるために学区内のペンシルハウスに引っ越してきます。学校が始まる前の夏休みの間、女の子はお母さんが綿密に立てた「人生設計」に基づいて、勉強漬けの毎日を送るのですが、友だちと遊ぶ時間もないほど時間に追われる彼女はどこか寂し気。そんな時、隣の家に住む風変わりの老人と友だちになり、やがて星の王子さまのことを聞き、彼に会いに行きたいと思うのですが…。
均一のペンシルハウス、冷たい近隣の人々、受験、父親の不在、子どもそして老人の孤独…現代社会の負のメタファーが散りばめられている女の子の世界はまさに私たちが住む窮屈な現代社会を反映しています。そんな中だからこそ、老人が女の子に語る、星の王子さまの一輪のバラに対するひたむきな思いや友だちの狐への厚い友情、そして「大切なものは、目に見えない──」といった数々の名文句がひと際胸にしみるのです。女の子の世界がCGで描かれているのに対して、星の王子さまの世界は木や紙を使って作られた人形によるストップモーションで描かれていて、その繊細な美しさにうっとりします。
ファンタジーの世界を飛び出した王子さまが、女の子に、そして忙しい毎日を生きる私たち現代人、とりわけ髪を振り乱しながら子育てする親たちに訴えかけてくるものとは?映画を観終わり、私は久しぶりに本棚の奥から『星の王子さま』を取り出し、ちょうど映画の女の子と同じ年の娘に読んであげました。内容はまだ少し難しくても、「ぼうし (!?)」や「ヒツジ」の挿絵を見ながら、あーだ、こーだと言いながら楽しい時間を過ごし、なんて遊び心のある楽しい本!と改めて実感させられました。
そう。子どもは勉強や習い事ばかりではなく、まさにこういう時間が一番大切なのだと映画は思い出させてくれます。そういえば、つい最近まちとこの仕事で翻訳した『フランスの子どもはなんでも食べる』にも似たようなくくりがありました(この本については、まちとこの社長の石塚さんが次回のブログで詳しく書いてくれます)。それによると、フランス人は、子どもにフラッシュカードや音楽教室を強要するより、家族みんなでゆっくり楽しみながら食事をすることに重きを置くそうです。そういえば、サン=テグジュペリも確かフランス人!?あの国民独特の落ち着きと優雅さは、こういうところからきているのかもしれない…と改めて思いました。